人間の傾向について

いろいろな人間と付き合うにおいて知っておいて良い事は、人間の振る舞いにはいろいろな傾向のパターンがあると言うことである。具体的に言えば、長く記者をやってきた人間は、まず怒鳴る、どなたとせねばならないことをこうしてほしいと言う事を大きな組織の中でどうやったら結果が出ていくのかということについてほとんど知らない。思いつく手は、組織の中の有力者に直接こうしろこうして欲しいと言うことを言う程度のことである。組織がなぜ動かないのか、動きやすくするためには要求をどのようなまとめ方にし、どのような話し方をし、組織のどの部分とどの部分にどのように働きかけねばならぬか、どのような順番で要求を伝えていくのかなど細かなことに思いが至らない。このような人間がトップに立つのは、よほど見識があり具体的なことは、部下に任せ部下を励ますようなタイプの人間ならば良いが、思い任せのことを当たり散らすような性格だと単なるパワハラになり怒りやすいじいさんか駄々っ子の用事と変わりがない事態となる。
また、長く文章で組織の動きを伝えてきたような官僚形の人間が上に立つとまず新しい改革に対して保守的な態度となる。以下省略。
その他その他、
結論的な教訓は、組織の中では実にどうしてこのような言動をし動き方をする、あるいは動かない人間がいるのだろうと理解に苦しむことが多々ある。その秘密の一端は、以上のようにその人が長く過ごしてきた働き方のパターンから逃れられないからである。
古く懐かしいラフな言い方で言えば、いかに対自化していない人間が多いかと言うことである。
本当の頭の良い人間かどうかの基準は、まずこの対自化した意識を持つことのできた人間であるかどうかである。それは、二、三の異なる局面の中でどのような発言や動きをしたかを見ればすぐわかる。
対自化した人間は多く見積もっても10人のうち、2、3人である。そしてその対自化した意識でことにきちんと対処していこうと言う誠実さを持ったものは10人にくらいであろうか。逆に、対自化していなくても誠実にことを起こそうというものはやはり10人に1人位はいる。
決して人を怒鳴る事はなく、粘り強い人間である。その状況の中でできる限りの結果を残す。
怒鳴っているようなばかりの人間への対応は、心の中で突き放して面白がって見ているしかない。